まんなかまねじめんと/a>

まんなかまねじめんと

はみ出し者の黒い羊さんでも生きられるよ。絶対、だいじょうぶだよ。

【適応障害】ニートになってからの心境の変化【感情の波振り返り回】

 

 

f:id:zerounisan:20191118135914j:plain

 

みなさまこんにちは、羊メイです。

 

もうすっかり秋になりましたね。外が10度くらいなので、そろそろ冬物の上着が必要そうです。

 

秋は私のパーソナルカラーの季節なので、結構好きです。(引きこもりだけど😂)

 

さて、適応障害で休職してから1ヶ月以上経ったわけなのですが、私の心境に変化はあったでしょうか。

 

詳しい記録は残していないので、ぼんやりと思い出しながらここ1ヶ月についてと、今後について考えながら記事を書いてみたいと思います。

 

たまにしっかりブログを書いておかないとタイピングの腕が鈍りますしね😁

 

 

 

 

 

 

 

 

もうやだ、辞めようここ。だって死んじゃうもんこのままじゃ

 

仕事を辞めようかと本気で考えたのは最終出勤日となる9月6日の金曜日でした。

 

その時にはすでに、睡眠時間がどれだけ短くても目覚ましよりかなり早く起きてしまっていました。

 

金曜は起床してすぐに昔登録していた派遣会社へ仕事探しの依頼メールを書き、朝の準備をしながら勝手に流れる涙に化粧を邪魔されながら出勤、デスクについてから即上司へ「退職のお願いメール」を書きました。

 

その日の夕方に上司と面談しましたが、共感も寄り添いも感じられない対応で、「来週も出勤してくれ」と何度も言われたためひとまずは「はい」と返事をした記憶があります。

 

 

でももうその時点で次週の出勤はしない、と腹に決めていました。

 

 

それというのも、9月の初週だと言うのにすでに残業が20時間を超え、毎日ほぼ終電間際くらいの時間に帰宅していたのです。(徒歩なので終電関係なかったですが)

 

自分の仕事が積み上がっていたのも確かですが、それよりも私のストレス元は

 

  • 毎日行われる感情論で言い合いしか生まない非生産的なミーティング
  • 気分によって反応がまるで違う上司のご機嫌とり
  • すでに精神と心を病みながら仕事をしている上司の相談乗り

 

と言うところに集中していたような気がします。

 

遅くまで仕事をすることは確かに肉体的に辛いものがありますが、それでも耐えることはできました。

 

しかし、精神面だけはどうにも対処ができずにいた為、心から体を壊したんだと思っています。

 

 

9月の初週は特に上記が酷く、自分の仕事が進まなかったために帰宅時間が深夜となっていました。

 

当然帰るころには頭は働かず、朦朧としながら帰宅してコンビニのおにぎりやサンドイッチをちょっとかじって最後の気力でお風呂に入り、ベッドに倒れ込んでそのまま就寝というルーティンでした。

 

しかもかなり疲れているにもかかわらず休日も寝ることができなくなっていたため、休息が取れずにいました。 

 

今までこんなに残業の多い仕事をしたことがないというのもありますが、正直このまま続けたら本気で死ぬと思っていました。

 

こんな会社に殺されるのだけはごめんだ、と無意識に危機感を感じていたのかもしれません。

 

 

 

母からの電凸により私氏撃沈

 

さて、もう出勤しないことを決めた以上、ある程度家族や親戚には報告を行わなければならないと思っていた私は、連絡まわりを始めます。(Lineで)

 

母や妹、母の妹(叔母さん)とおばあちゃん。父のいない私には連絡した家族はこれだけです。

 

電話で話す気力はなかったので文章を送ったのですが、突然母から電話が。

※ちなみに母はもう10年以上うつ病を患っています。

 

 

母曰く、私が少し前から仕事が忙しいことを伝えていたことが原因でうつ病が酷くなって毎日泣いているとのことでした。その時は純粋に

 

 

「ああ、言わなきゃよかった」

 

 

と思って反省し、母を少しでも元気付けないといけないと思って、実際は結構しんどいのに

 

 

「大丈夫だよ、元気だから。ご飯食べて寝たら治るから。心配しないで」

 

 

などと言った記憶があります。

 

 

母はそこで気を許したのか、いきなりこんなことを言い出します。

 

 

「ねえ、400万借りてくれない?」

 

 

その時精神的にどん底にいた私はその言葉を聞いて絶句しました。

 

その後のことはあまり記憶にないのですが、泣くのをじっと堪えて相槌も打てなくなっていた記憶があります。

 

 

一旦考えさせて欲しい、と言って電話を切った記憶がありますが、電話の切り側に私を元気付けようとしたのか母がヘラヘラして私に笑えない冗談に頼りを混ぜてきたことに大変な不快感を感じたことははっきりと覚えています。

 

 

情報弱者の母を甘やかしてきた結果だと、そう思いました。

 

400万なんて借りたって、毎月10万円を超える返済です。私にも母にも到底できるはずがありません。

 

情報弱者は何も知りません。無知が故になんでもできると思ってしまうのは、世間を知らない幼児と一緒です。

 

 

 

電話が終わった後私は、せきを切ったように泣いていました。

 

もう何もかもがめんどくさい、消えてしまいたい。

 

負債を抱える自分が思い浮かびます。

 

借金をするだけして死んでしまおうか、と悪魔君がささやきます。

 

仮にお金を借りられたとして、返済できず自己破産をし、生活保護で暮らす自分の姿も思い浮かびます。

 

どうしてそこまでやらなきゃいけないの?

 

 2〜3時間、泣いては落ち着きを繰り返した後で私の脳は本件について考えるのを停止しました。

 

 

 

 

初めての欠勤、初めての心療内科

 

さて、私は先月の二週目から欠勤をしたわけなんですが、前の仕事では一切欠勤をしていないため結構ドキドキしていました。

 

当然、会社で話したくない上司が電話に出るのが耐えられなかったため特例でLineにて欠勤連絡を行いました。

 

もうこの時点で退職することは腹に決めていたので、金曜の時点で怪しまれない程度に私物は持ち帰っていました。

 

その為、もう会社に行かなくていいと思えたのもあってかかなりほっとした記憶があります。

 

精神の波は一旦落ち着いたものの、体に力が入らずにお風呂もろくに入れない状態だった私はひとまず何もしない、を選択しました。

 

翌日には心療内科への初診が控えていたので、行く前になんとかお風呂に入ればいいや、と思って。

 

 

ベッドで横になりなから動かない頭で頭を使わなくていい動画(ネコ動画など)を見ていました。

 

脳がいきなり休息モードに入ってしまったのか、その時はアニメやゲーム実況、雑学系動画は一切見れなくなっていました。

 

言葉が一切頭に入ってこないため、理解ができなく、またその現実を受け入れるのが苦痛だったのです。

 

 

そして翌日。昼過ぎに予約をしていたので午前中にお風呂に入り、当然化粧なんてできないのですっぴんにマスクで病院へ。

 

病院では数十枚にわたる問診票と、木を描くテストを実施してから診察へ入りました。

 

先生に現在の身体状況を話して、睡眠薬抗不安剤を処方してもらいました。

 

思ったよりもすぐに診察が終わったことを覚えています。おそらく10分くらいだと思います。

 

 

 

物凄い肌荒れ、不摂生、睡眠薬

 

睡眠薬を処方してもらえたため、睡眠不足については問題がほぼ解決していました。

 

あとは食事の問題なのですが、日々1食で、それも500kcalほどしか摂取していない体がすぐにたくさん食べられるわけもなく、食欲増進の薬もないためにしばらくは食べられそうなものを買って食べていました。

 

料理はまだできなかったので、コンビニ飯を続けていました。

 

また、お風呂も入る気力がわかなかったので2〜3日に1回シャワーに入る程度でした。

 

そのせいもあってか、仕事に行かなくなって2〜3週間は肌荒れというかゴワツキが酷く、外出時に頑張って化粧をしても、逆に肌が汚く見えるほどでした。(ファンデーションによってより一層肌の凹凸が目立ってしまう)

 

あまり外出することもなかったためそれほど気にしていませんでしたが、後から考えるとビタミン不足と毛穴の詰まりが酷かったんだと思います。(野菜や果物をほとんど食べていなかった)

 

 

 

良くなっては沈む。原因は元職場の上司

 

今思えばブロックしてしまえばよかったと思っていますが、私は欠勤直前に体と心をすでに壊しながらもギリギリで仕事をしている上司2名に連絡先を教えていました。

 

Lineでグループを作成していたため、社内の情報や愚痴などが勝手に流れ込んで来ました。

 

もちろん心も壊しているその二人は、普通の愚痴では済まされないような闇の空気を文章に潜ませてきます。

 

 

気分が少しいいな、と思った日でもそう言った暗い内容のLineを見て落ち込む、というのを何度も繰り返していました。

 

当時の私としてはもう出勤しないながらも、会社のことが気になってしまう。そんな感じだったと思います。

 

インスタもYoutubeも自分の好きなものやポジティブなものだけに絞って閲覧していたのもあって、Lineは一撃で私の精神に攻撃してきたという感じでしょうか。

 

 

馬鹿だなあ、と今になって思ってしまいます笑

 

 

 

 

退職手続き、役所手続き、保険証はよ

 

寝たい時に寝て、食べたい時に食べる。

 

無理に仕事を探さずに、やりたいことだけをやる。

 

そういう風に養生していた私ですが、やっと退職手続きの書類が届きます。

 

本来は会社に出社して手続きを行うらしいのですが、私は精神的にもう出社できないと上司に伝えたため郵送で退職手続きを行いました。

 

どの会社でもできるものではないと思うので、こればっかりはありがたいと思っています。

 

その上、会社で手続きすると拝むことのできない「退職アンケート」が送られてきたので、思いつく限りの会社の悪行を書いて提出しました。(今思えば大人気ない)

 

 

保険証は社会保険の任意継続にしました。傷病手当や保険証の手続きが手間になると思ったこと、国保の方が若干高い予想がついたもの決め手でした。

 

退職書類に任意継続の書類もつけて送付し、手続きは完了です。

 

離職票などは書類を送ってだいたい1週間くらいで届き、今月分の社会保険料を支払って今は保険証の受け取り待ちです。

 

※退職日から保険証は使えないので、新しい保険証が届くまでは病院代が10割負担です。

これが地味に辛い。

当月中に新しい保険証が手に入れば病院によっては返金を行ってくれますが、間に合わなければ健保に書類を提出して返金手続きを行います。

その際医師に書類を書いてもらう必要があるため、大変面倒ですw

 

 

年金については国民年金への切り替えと支払い免除の手続きを行いました。

 

免除の申請をすると数ヶ月は支払いをしなくて良くなります。(手続き時期による)

 

離職票など退職の証明があれば所得証明などは必要ないので「まだ仕事が決まっていないので免除してください」と言えばOKです(将来もらえる年金額は減ります)

 

 

 

カウンセリング、自分を俯瞰してみる

 

身近に自分の心の内を話せる人がいれば一番よかったのですが、何分人を信用できない性格の私はこの後に及んで友人にも家族の誰にも「自分の今」を話すことができずにいました。

 

だからと言って私の通う心療内科は「内科的な内容」以外には回答してくれないのでそれもダメでした。

 

 

もういっそ、カウンセリングに行ってみようか。

 

そう思っていろいろ検索していました。

 

基本的に初回料金しか記載がなく、二回目以降は初回時にご相談という感じでした。

 

私は比較的安く、しかし最安値ではないところに決め、予約を入れることにしました。

 

予約には電話連絡が必要かと思いましたが、不安な中全てメールのみで完結して心底ほっとしていたのを覚えています。

 

何せ今ですらいきなりの着信には応答ができません。派遣会社の方からほぼ毎日のように連絡が来るのですが、ずっと出られず申し訳なく思っています、、、

 

カウンセリングでは心療内科の受診と同じように問診票を書くのですが、心療内科との大きな違いは「記載内容の自由さ」です。

 

心療内科の問診票は質問にはい、いいえで答えるものが多かったものの、カウンセリングでは空白が大きく

 

  • 自分が何について悩んでいるのか
  • どうなりたいのか
  • 体の症状

 

について大まかに区切られていました。

 

もういっそ一から見直したかった私は、今回の適応障害についてだけではなく自分の生い立ちから見直していくことにしました。

 

先生に促され自分のことを最初から話していくうちに、節々で感情の昂りや落胆を感じていました。

 

それによって瞬間瞬間で自分を俯瞰してみることができていました。

 

自分が何に対して大きく影響され生きているのか、親にどうして欲しかったのか。

 

どういう人間関係を築きたかったのか。

 

 

それもこれも、目の前で優しく、そしてしっかりと傾聴してくれる先生があったおかげだと思っています。

 

穏やかに肯定してくれる中、思っていることを話すのは何より自分を落ち着かせてくれました。

 

 

 

時間が経てば勝手に「何か」したくなるとはいうけれど。

 

そして今、私はまだニートを続けているわけなのですが変わったことと変わらないことがあるので、箇条書きにしてみます。

 

変わったこと

  • 毎日ではないがトレーニングを再開した
  • 動画やアニメ、小説が楽しめるようになってきた
  • 料理ができるようになってきた
  • 気分の波が落ち着いてきた
  • 薬無しでも眠れる日が増えてきた
  • 眠れなくても焦らなくなってきた
  • スキンケアができるようになった
  • たまに掃除ができるようになった

 

変わらないこと

  • 仕事に関する関心がない
  • やりたいことが見つからない
  • お風呂は2日に一回(もしくは出かける前)
  • 毎日外に出ることはできない
  • 他人を助けたり、頼られることがしんどい

 

こんな感じですね。

 

一人暮らしの日常生活を送る上では問題なくなってきましたが、仕事に関することはまるでダメです。

 

手に職つけようといろいろ調べてはみるものの、すぐに眠くなったり集中力が続きません。

 

お金を稼ぐということにまるで関心が持てません。

 

貯金がなくなったら死んでもいいかな、という気持ちが心の奥にずっとあります。

 

 

そして自分がやりたいこと、というものも全く見つかりません。

 

目標をあげるとすれば「猫と暮らす」というものはありますがそれは消費の目標のため、食いつなぐことができません。

 

今は貯金と傷病手当でなんとか生きていますが、あと何ヶ月生きたらこの考え方を変えられるのだろう、と悩んでしまいます。

 

 

もしかすると、今まで散々お金や借金に苦汁を舐めさせられてきたことに疲れてしまい、仕事(お金)についてもう考えることを脳がやめてしまっているのかもしれません。

 

ちょうど母の借金のことを考えないようにしたように。

 

あとは、他人に手を貸す、頼られることがしんどいというものがあります。

 

今までも持っていた感情ですが、それがより一層強くなっていることを感じます。

 

自分のことで手一杯なのかもしれませんが、他人に頼られると

 

「めんどくさい」

 

「他の人を頼ってよ」

 

と思ってしまいます。薄情ですね笑

 

これも時間が経つにつれて前に戻るのか、こればっかりは経過観察というところでしょうか。

 

 

 

 

 

さて、長くなりましたがざっとこんな感じです。

 

この記事は私の健忘録的なものになりますので、閲覧数が少ないことは承知の上です。

 

今はこんなこと考えてるよ、私。と未来の自分に宛てて終わりにしたいと思います。

 

それでは、また。