【適応障害】私が適応障害になるまで【診断書アリ】
こんにちは、黒羊メイです。
今回は「私が適応障害になるまで」と、「現在の状態」を一気にお伝えしたいと思います。
明日以降は経過報告をしたり、考えていることをまとめる記事にしたいと思っています。
私が適応障害と診断されるまで
人間の三大欲求が崩壊し出した
自己紹介にも記載しましたが、私はつい先週まで3ヶ月ほど、コールセンターの研修講師をやっていました。
その前はオペレーターでした。(電話とる人)
その仕事が激務すぎ+上司の協力を得られずストレスが重なり、不眠、食欲なしとなって病院に行くことになります。
一番やばかった時の状態は以下の通りです。
仕事の状況
- 8:30〜長い時は23時を超える仕事(早くて20時退社、休憩はお手洗いのみ)
- 元トレーナーの上司からの業務引継ぎなし+面談や初研修の見守りなし(なんなら上司が先に帰ってる)
- 上司に何か相談しても、機嫌が悪くて話にならない(NOしか言わない)
- ボスの前と私の前とで180°言う事と態度が変わる上司、言うことが毎回違うことに恐怖する
- 研修の流れや資料をほぼ1から作成、毎日の研修の準備やひとり反省会を行うごとに自分を追い込む(もっとこうすればよかった病)
- 研修時間が終わってからが、自分の仕事の時間
- 上司から「今年中に80人新人を増やす」と言われ、当時抱えていた数人の研修でも残業が酷いのに到底抱えられないと思っていた
生活の状況
- 帰宅してお風呂に入って、コンビニ飯食べて、即就寝(診断の2週間前までは疲れすぎて一瞬で寝れたけど、最後は3〜5時間寝れれば良い方)
- なぜか目覚ましより早く目が覚めて、二度寝できない
- 出勤しても頭が働かない+手が震えるのでカフェイン必須
- お昼時間は研修の為の調整事項や準備に終わるので食べる暇がない
- お昼時は休憩室や食事処が激混みするから行きたくない
- 気づいたら一日の摂取カロリーが500以下(食べたいと思っても入らない)
- 研修講師になって3ヶ月で5㎏痩せていた(健康診断で引っかかるくらいのBMI)
メンタルの状況
- 金曜の退勤後、帰り道で気を緩めると泣きそうになる
- 朝頭がカフェインに叩き起こされるまで笑顔になれない
- 土日に何もする気になれない
- ぼーっとする、以前より頭の回転が遅くなる感じ
- 言葉が出ない、思いつかなくなる
- 仕事中だけヤケにハイ
- 出社前に謎の涙が止まらなくなる
とまあ、こんな感じです。
どのメンタルケア系の動画を見ても「人間の三大欲求の1つにでも支障があれば病院へ」と言われていたのもあって、最近同じような状態で退職した元同僚に心療内科を紹介してもらい、仕事を休んで最短で予約を入れたのです。
家族の問題
予約から診察日まで数日あったのですが、その間に各所に退職の連絡をしており、10年以上前から鬱病持ちの母に電話した時に、私の症状が急速に深刻化しました。
それよりも前に、「やばいから仕事辞めたら、ごめん」的なことは伝えていたのですが、私が仕事を辞めると言った事で、「鬱病が深刻化した」と言われ、(言わなきゃよかった…)と後悔。
そのうえで、電話で泣かれる+400万借りてくれないか?と頼まれ、パニックに
相槌も打てず、泣くのをこらえ、なんとか電話を終えた瞬間、堰を切ったように号泣。
母はうつ病が深刻化した時に生活費などを借金しており、また去年足の手術を行った為、復帰までの間の生活費や、まだ学生の妹の生活費などで積もりに積もった借金があったようなのです。
私は私で収入がそこまで多くなかった為、援助もできないでいました。
急性的に酷くなったメンタルの状況
- なんでこのタイミングで言われたんだ?
- 400万て何?
- そもそも私の名義で借りるってそれ、返せなかった時肩代わりじゃん
- もうすでに10年前に300万肩代わりしたんだけど!?
- 1回債務整理したよな…なのにまた?
- もうめんどくさい
- 私が借りて、自己破産しようか
- 消えたい
- 〇にたい
今までないくらい、叫ぶように泣いて、過呼吸になりかけながら、気が済むまで泣きました。
その後、何度か泣いて、心配してきてた彼氏と電話をして、「お前が借りることは無い、母親と縁を切るくらいでいい」と言われ、それを行う気力もなく、「無理だ、」とまた泣いて。
どん底の、さらに底に顔を押し付けられたような気持ちでした。いっそ死んで楽になりたい、という気持ちしかなかったです。
泣いて、目が疲れて少し眠って、起きて少しスッキリして。
それでも生傷だらけの心はすぐ治らないので、ひとまずお金のことは脳みそから捨てて、自分の体と向き合うことにしました。(というか脳みそが勝手にそう動いた)
キャパオーバーで抱えきれないって、状態ですね。
とりあえず食べられるだけ食べ、ゆっくりしよう。
ねむれなくてもいいから、横になろう。
目を疲れさせるため、内容は一切頭に入ってこないけど小説を読んでみたりしていました。
一瞬ウトウトはするものの、寝そうになったら目が覚めてしまう。
そんな状態で診察の日を迎えます。
いざ病院へ
病院は市内でも有数の大きな公園の目の前に建っていて、とても綺麗な所でした。
受付では問診票と、白い紙を渡され、木を描いてくれと言われました。
言われるがまま、用紙に記入して受付に戻し、程なくして私の番号が呼ばれました。
先生は女性で、あっさりとした性格でした。
質問にいくつか答え、退職のために診断書を書いてもらい、睡眠薬と安定剤を処方してもらって30分ほどで診察は終わりました。
会計の時に見せられた診断書に「適応障害」と書かれているのを見て、改めて現実を目の当たりにしました。
私、病気だったんだ、と。
発行された診断書はこんな感じです。
診断書
現実を見て少し吹っ切れた感もあった私は、その後30分ほど目の前の公園を散歩し、帰宅してから上司に引き続きの休暇+退職のお願い+診断書の写真を送りました。
まず、ここまでが体の限界を感じてから病院で診断されるまでです。